まんざいせんか
序章
季節は春で、大きく伸びる枝にはひしめき合うように桜の花が咲き乱れている。
あまりに見事な桜の花に、俺は目的地である菩提寺を通り過ぎ、その迫力ある満開の桜の木の下へと向かった。
大きく枝を広げる桜は、古びた演芸場の庭に植えられていた。
『漫才千花』――生前、オヤジが活動の中心としていた演芸場だ。
威風堂々と言えば聞こえよく、本質は朽ちかけたおんぼろの古い建物で、時代の波に取り残されたかのように、息を潜めて人通りの少ないこの場所に建っている。
枝を広げる桜の花の合間から、デカい一枚板が覗いている。その大きな看板に暴れ龍のごとき筆致で書かれたその文字を、俺はなんとはなしに読み上げた。
「まんざい、せんか」
自分の喉から発せられたその言葉が、オヤジの声になって耳に届く――そんな錯覚に陥る。
心の奥がざわつき始め、なんだか落ち着かない。焦燥感に胸が締めつけられる思いがした。
今日がオヤジの七回忌だからだろうか、変に感傷的な気分になっているのかもしれない。
――と、そんな考えが頭をよぎった時だった。
「あっ!」
突然そんな声がして、直後、何かが脳天に直撃した。
鼻から息が漏れてしまうくらいの衝撃があり、思わず頭を押さえてうずくまる。
「痛ってぇ」
一体何がぶつかったのかと足元に転がる物体を拾い上げると――
「魔法の、ステッキ?」
幼女が振り回して遊びそうな、ピンクのキラキラした魔法のステッキだった。
「あのっ、大丈夫ですか!?」
パタパタと、声の主が俺のもとへと駆けてくる。
振り返り顔を上げると、舞い散る桜の花びらの中に一人の少女が立っていた。
春風にふわふわと揺れる栗毛に、桜のように薄く色づいた唇が印象的な、大人しそうな少女。年齢は、俺と同じくらいだろうか。
「これ、お前のか?」
「はい。すみませんでした。痛みますか?」
差し出した魔法のステッキを大切そうに胸に抱きながら、少女は不安げな視線を俺に向けてくる。
なんだろう、この光景。物凄くアンバランスだ。
というか、魔法のステッキが確実に浮いている。似合わないというより不自然だ。
「何を、していたんだ?」
「え? あ、これですか?」
俺の視線が魔法のステッキに注がれていることを悟り、少女は少し照れくさそうに言う。
「魔法の練習をしていたんです」
思わず、頭を押さえてしまった。
「あ、あのっ、痛いですか!?」
あぁ、痛い。すごくイタいよ、お前がな。
何かの聞き間違い、でなければ俺の思い違いであれと、あえて質問を重ねてみる。
「魔法の練習ってのは、その、具体的にはどうやるんだ?」
「お百度参りですっ!」
あまりにも屈託のない笑顔を向けられて、どうしたものかと言葉に詰まる。
まるで意味がわからない。
一体どんな思考回路をしているのかは知らないが、目の前の少女は一点の曇りもないような澄みきった瞳で、自信満々に胸を張っている。
そんな願いを百回も聞かせて、お前は神様に恨みでもあるのか?
「神様に、感謝したいです」
俺の想像とは真逆の感想が、少女の口からもたらされる。
「ちょうど百回目のお百度参りが終わった時に、和泉君に再会出来るなんて」
「え?」
聞き間違いではなく、今、確実に俺は名前を呼ばれた。『和泉君』と、はっきり。
それに、再会って。
「和泉穂高君!」
「は、はい」
強い意志のこもったまっすぐな瞳に見つめられ、思わず返事をしてしまった。
目の前の少女は、両手に持った魔法のステッキをギュッと握りしめ、小さく息を吸ってから、俺にこんなことを言ってきた。
「ま、まんざいせんかっ!?」
背後に建つ演芸場の名前であり、そして、もう一つの意味は――
「あ、あのっ。わたしと、漫才を、しませんか?」
春の陽気に当てられて、舞い散る桜の花びらと戯れる妖精のような純真無垢な顔をした少女は、可愛らしいピンクの魔法のステッキを握りしめて、俺にそう問いかけてきた。
「えっと」
答えに窮した俺は、今この場に最も適しているであろう言葉を少女に向ける。
「なんでやねん」
これが、俺と彼女――月城憩――の第一歩となってしまった。