ロボット・ハート・アップデート Ver.2.0 〜ひとりぼっちの戦場〜
序幕
ホルスターに収められた拳銃を、クロエはちらりと確認した。
その黒い銃身に込められているのは、実弾だ。
「……やっぱり私たち、戦うしかないみたいね」
普段通りの凛とした声音を響かせてから、クロエは不敵にも笑ってみせた。
「ああ、どうやらそのようだ」
クロエと相対する人物は、小型のマシンガンを右手に構えたまま冷淡に答える。
その目には、殺気が宿っていた。
クロエはひとつ深呼吸して瞬きをすると、改めて周囲を見た。
ここはナオトたちが働く家電店の最上階だ。
しかし、今は二人のほかに人の姿はない。
夜空が見える吹き抜けの屋上には、かすかな風の音だけが響いている。その静寂のなかで、ときおり遠くから銃声が聞こえてくる。島のあちこちが戦場になっているのだ。
目の前の人物の殺気に、クロエは思う――これ以上、言葉を交わしても無駄だ、と。
だから、覚悟を決めることにした。
浅くひと呼吸してから、銃に手を伸ばす。
その瞬間、相手も動いた。
そして――、
第一幕、「新たな出会い」
時は、一週間前に遡る。
年が明けて、一月も半ばに差し掛かったある日の正午過ぎ。
「さて、と……今日はパトロールの日ね」
見習い警察官である白鳥クロエは実乃璃署を一歩出ると、大きく伸びをした。
近頃は事務作業ばかりで、身体がなまって仕方ないのだ。運動不足を解消するべく、今日は巡回にホウキを使わないことに決めた。島に赴任した当初に使っていたホウキはクリスマスの事件で壊れてしまったため新型を取り寄せたのだが、それに頼ってばかりいると自分の能力が衰えるのは目に見えていた。
「まったく、島じゅうを一人で飛び回っていた頃が嘘みたいね……」
職場環境の変化に苦笑しつつ、クロエは街の中心部に向かって歩き始める。
現在、実乃璃署の運営を行っているのはクロエひとりではなかった。
彼女はクリスマスの一件以来、警察署で眠っていたロボットたちに協力を求めることができるようになっていた。臨時署長として彼らに充電を行い、仕事を割り振って監督することが、今のクロエの仕事だ。新しく用意した腕の端末にも、彼らの連絡先が登録されている。
そんな変化のせいで、今の彼女自身がこうして島を歩き回る頻度はあまり多くない。
だからこそ、今日のようなパトロール業務は重要だった。年が明けてから新しく建ったビルや、改装工事が行われた建物を中心にクロエは見回りを続けていった。
しばらく北へ歩いていると、改装された場所のひとつである温水プール施設の前でクロエは見知った顔に出会った。
「あっ、クロエさんだ! こんにちはー」
プールの正面玄関から出てきた少女は、拠葉三姉妹の次女である珠乃だ。クロエよりも五歳ほど幼いその少女は機嫌が良いのだろうか、普段にも増して活発な雰囲気を放っている。
「こんにちは、珠乃さん」
駆け寄ってくる珠乃に挨拶を返したクロエだったが、珠乃はひとりではなかった。彼女に続いて、建物から珠乃の姉と妹も姿を現す。
「お久しぶりですね」
いちばん後ろを歩いていた長女の文はクロエの前で立ち止まると、そう言って穏やかな笑顔を向けてきた。銀色の髪が、真昼の陽光を浴びて輝いている。
「ええ、お久しぶりです」
「クロエおねえちゃんだー」
三女の知恵も、元気にクロエのスカートへと抱き付いてきた。
「あなたもいたのね、知恵ちゃん」
そう言いながら、クロエは長女の文に尋ねる。
「三人とも、今日は発電施設での仕事はいいのかしら?」
その質問を待っていたかのように、文は微笑んで嬉しそうに答えた。
「ええ。予備電源の配置とケーブルの敷設が終わったから、今日から三人揃ってお休みが取れるようになったのよ」
「そういえば、今日が稼働予定日だったわね」
工事が既に完了している事実は、クロエも把握していた。だからこそ、この場所を見回りにやってきたのだ。
人間の感情を読み取ってエネルギーを発生させる『祈石』は、それを扱う人間によって適性にばらつきがある。この拠葉三姉妹は、クロエたち普通の人間と比べて桁違いに高い適性を持っている。そのせいもあり、昨年末までは祈石を利用した島の発電施設で休みなく仕事をする生活を強いられていた。
しかし、ロボットたちが昨年のクリスマスに起こした事件を通じて彼女たちの過酷な生活が島民たちに周知されると、環境の改善を求める声が高まった。その動きのきっかけになったのは、あの平凡な家電屋店員である守屋ナオトの奔走だった。
改善の声が高まったことにより、人工島であるこの実乃璃島の地下には新たに集電用のケーブルが敷設されることになった。島の各所にある公共の施設と彼女たちの生活している発電施設を結ぶことにより、地域住民の力を借りて発電ができるようになったのだ。
そんな公共施設のひとつが、今この三姉妹が出てきた市営の温水プールである。祈石を粉末状にして混ぜた水をプールに使うことにより、一人ひとりの利用者が少しずつ水に与えたエネルギーを蓄えて予備の電力として利用できるようになったのだ。そのおかげで三姉妹の発電作業に余裕が生まれ、こうして三人揃っての休日を確保できるようになっていた。補助用の発電施設として利用され始めた建物はプールだけでなく、他の場所にある銭湯なども含めて複数にわたっている。
なお、予備の電力は敷設されたケーブルを通じて発電施設に備蓄される計画となっているが、まだ備蓄用バッテリーの保管施設までは増設工事が済んでいない。そのため、一時的な措置としてバッテリーを積んだトレーラーが発電施設に横付けされ、そこにケーブルが繋がれている。
「クロエさん……本当に、あなたたちのおかげね。感謝しているわ」
クリスマスの一件を思い出しているのか、文は感慨深そうに目を細めてから頭を下げた。
「そんな……あなたたちの問題に関して、私は大した貢献はしていないわ。力を尽くしたのは、どちらかというとナオトのほうね」
文の大げさな感謝ぶりに、クロエはそう答えた。
「そのことなんだけど……私、実はまだそのナオトさんという方にお会いしていないの。一度ぜひお会いしたいと思っているのよ」
文がそんなことを言ったので、クロエはつい尋ねてしまう。
「ナオトに会って、どうするの?」
「もちろん、まずは感謝の言葉をお伝えするつもり。そうしたら次は……」
話をすぐそばで聞いていた珠乃が、横から身を乗り出して尋ねてきた。
「次は?」
「……次は、ご一緒にお茶でもいかがですか、って誘ってみようかしら」
意外なその言葉に、クロエは思わず目を瞬かせた。
いっぽう妹の珠乃は、ひゅうと口笛を吹いてみせる。
「お姉ちゃん、珍しく積極的だねー」
囃された文は、わずかに頬を染めて答える。
「だって、その方なんでしょう? 私がずっと夢見ていた姉妹の団欒を叶えてくれたのは……だから、ぜひゆっくりとお話がしてみたいと思っているの」
「そ、そう……」
クロエは奇妙な戸惑いを覚えながら、曖昧に相槌を打った。
確かに長女の文はあのクリスマスの夜まで、ずっと三姉妹全員での団欒を切望していた。だから、それをあっさりと実現してしまったナオトという人物に感謝の念や強い関心を抱くのは理解できる。
とはいえ、静かな佇まいの文がこんなことを言い出すとは思わなかった。
「じ、じゃあ私はそろそろ行くわね」
「あら、ではまた今度」
「じゃあねークロエさん」
「ばいばーい」
「ええ……それじゃ、また」
なんとなく落ち着かない気持ちになって、クロエはそそくさとその場を離れた。
*
プールを見回った後も、クロエは数時間かけて島の各所へパトロールに向かった。
この程度の移動は、以前であれば運動とすら感じない程度の負荷だと思っていたのだが、
「か、身体が重い……」
焦りの表情をひとり浮かべて、クロエは呟く。仕事が管理職に変わっただけで、体力というものはこんなにも低下するらしい。もしや技術まで衰えていないか、と不安がよぎる。
今の生活を続けていたら、いち警察官としての基本能力を疑われかねない――危機感を覚えたクロエは、その日の夜に仕事を終えると警察署の地下にある訓練室へ向かうことにした。
薄暗い階段を降りて鉄製のドアを開け、照明のスイッチを押すと、蛍光灯が控えめな光量で周囲を照らした。そこに広がっていたのは、灰色のコンクリートで壁や天井まで覆われた広い空間だった。
デパートの地下駐車場にも似た室内には角ばった太い柱が一定の間隔で並んでおり、壁際には射撃練習用の的が並んでいる。付近には木箱や土のうが腰の高さまで積まれた一角もあり、これらの障害物のおかげで、様々な状況を想定した射撃訓練ができるようになっている。
しかし昨年末以降、この部屋の利用者はクロエを除いて皆無だった。多くの人間が訓練を行っていた以前とは違って、ロボットの警察官たちに練習は必要ないからだ。
静まり返った訓練場を見渡しながら、クロエは練習内容を考える。壁際の的を利用して長距離射撃の精度を上げるべきだろうか。それとも障害物を利用した突入訓練や、あるいは数十メートルを走ってからの立射や伏せ射撃など、体力づくりを中心としたメニューのほうがいいだろうか――そんな風に迷っていたときだった。
自分しかいないはずの訓練室に、足音が小さく響いた。
「……誰かいるの?」
足音が聞こえた方向に視線を走らせると、部屋の奥から一人の女がゆっくりと姿を現した。
赤と黒。それがクロエの第一印象だった。
すらりとした長身と、黒い長髪。身にまとった深い紅色のロングコートは革製らしく、落ち着きのある光沢を放っている。
コートの内側にはタイトな服を着ている様子だったが、この薄暗いなかで十メートル以上も離れていては、その詳細までは分からない。ともあれ、警官の制服ではないことは明らかだ。
「あ、あなた一体何者……⁉」
クロエは部下の警察ロボット全員の顔を覚えているが、彼女に見覚えはなかった。
その女はクロエと目を合わせると、質問には答えずに低い声で尋ねる。
「確認する。貴様が『白鳥クロエ』で相違ないな?」
「そうだけど、あなたこそこんな場所で――」
クロエの声を遮るように、かちり、と音が響く。
女が懐から拳銃を抜き、安全装置を解除する音だった。
「――ッ⁉」
警察官としての本能が反応する。
とっさにクロエは真横へと跳躍し、手近な柱の陰へと転がり込んだ。ほぼ同時に銃声が響き、寸前まで自分が立っていた方向に二発の銃弾が撃ち込まれる。後ろにあった出入り口のドアが穿たれ、分厚い鉄に小さな窪みをつくった。
クロエは柱の陰で息を整えながらも、突然の出来事に動揺を隠せなかった。
正体不明の人物が警察署内に侵入し、そのうえ自分へ発砲してきたのだ。なぜこんな状況になっているのかまるで分からなかった。
「白鳥クロエ……初手への対応は、及第点といったところか」
感情の感じられない声で、女がそう呟く。
「……もう一度聞くわよ、あなた一体何者?」
おそらく答えないだろうとは思ったが、クロエは時間稼ぎに尋ねつつ柱の陰に隠れたまま立ち上がる。右腿のホルスターから素早く銀色の銃を取り出して中身を確認すると、ゴム弾が装填されていた。殺傷力は低いが、直撃すれば相手を昏倒させられるほどの威力はあるはずだ。続いて左腿の黒い銃にも視線を向ける。こちらには二十発近い実弾が装填されているが、相手に致命傷を負わせるような武器はなるべく使いたくなかった。
女はやや低い声で、淡々と答える。
「交戦中の相手と会話を行う必要はない」
「あら、確かにそうね」
クロエは皮肉交じりに笑みを浮かべた。女がどういうつもりで言ったのか知らないが、こんな切迫した状況では会話よりも相手に勝つことのほうがずっと重要だった。
クロエは考えを切り替える。幸い、ここは訓練室だ。練習場所なのだから、かつての練習と同じように戦えばいい。そうすれば、無敗を誇った警察学校時代と同じように、勝てる。
クロエは女の武装を確認するため、物陰からほんの一瞬だけ顔を出そうとした。女はすかさず三発の銃弾を撃ち、クロエは慌てて顔を引っ込めるはめになった。ふたたび静かになった訓練室に、女の靴音が聞こえてくる。
まずいわね――クロエは銃を右手で握ったまま柱に背を預けて、状況の打開策を考える。あの足音は、相手が柱の陰に回り込もうとしている音だ。このまま釘付けにされていては側面から撃たれるのは目に見えているため、なんとかして相手に悟られないように位置を変えなければならない。
クロエは腰のポーチから発煙弾を取り出し、銃に装填されていたゴム弾と入れ替えた。そして柱の陰から素早く銃口だけを出して、自分と相手の中間地点あたりの床に向けて大雑把に撃った。
発煙弾が白い煙を吐いて、二人の間に煙幕をつくる。
クロエは銃に再びゴム弾を込めると、煙に紛れて物陰から飛び出した。女から充分な距離をとって左側面へと回り込むと、積まれた木箱の陰に身体を隠す。
やがて、少しずつ煙幕が晴れてきた。完全に視界が晴れる前にゴム弾で攻撃しようかとも思ったが、クロエは念のため慎重に顔だけを出して、相手の様子を窺った。
女はこちらが移動したことに気付かなかったのか、入り口の方向を向いたまま立っている。その右手には、黒いオートマチック拳銃が輝いていた。
あの拳銃は、確か――どこか見覚えのあるシルエットにクロエは眉をひそめる。ただの偶然かもしれないが、あれは確か警察庁本部や政府官邸など、要人の多い場所で護衛の任に就く人間に支給される銃のはずだ。そういえばコートの色にも見覚えがある。血のような深い紅色は、あの執務室の――、
女は、出入り口のドア付近に目をやったまま、悠然と口を開く。
「どうした、白鳥クロエ。相手の側面を取ったならば即座に攻撃するべきだ」
まるで教官のような言い草だ。しかし、それよりも重要なのは――、
「……!」
こちらの移動が勘付かれている。
気付かない振りをしていたのは罠だったのだ。もし飛び出していたなら撃たれていただろう。
「とはいえ、その用心深さは評価しよう……では、次だ」
そう言いながら、女はクロエの方向に向き直りつつ銃を再び構える。
拳銃の銃口は、ぴたりとこちらを捕捉していた。
クロエはそれを見た瞬間、素早く遮蔽物に身を潜める。
直後、三発の銃弾が木箱を削る音が響いた。もしも銃弾が小さな口径の拳銃でなくライフルのものであったのなら、弾は木箱を貫通していたかもしれない。
それにしても、女があの煙幕のなかでこちらの正確な位置を把握していたことにクロエは驚いていた。どんな手を使ったのかは分からないが、更なる予想外の手を打ってくる前にこちらのペースに持ち込み、一気にカタを付けるべきだとクロエは決意する。
「あなたねえ、さっきから偉そうに――」
クロエはそう言いつつ木箱の陰に身を隠したまま、銀色の銃から実弾用の黒い銃に持ち替えた。そして銃口を相手の女にではなく、彼女の付近の天井にある蛍光灯へ向けて撃った。
蛍光灯が音を立てて割れ、鋭利なガラスの破片を周囲に降らせる。その瞬間にクロエは物陰から飛び出した。この隙にゴム弾を叩き込めば、相手に致命傷を負わせずに無力化できるはずだ。相手がガラス片に気を取られているはずの今こそ、反撃の好機だった。
「――いつまでも自分が優位だと思わないことね!」
クロエは一気に相手との距離を詰める。右手の銃を下ろしつつ左手でホルスターからゴム弾の銃を抜き、素早く相手へと向けた。片手での照準とはいえ、あと数歩踏み込めば手が届くこの距離では外しようがない。クロエは勝利を確信しつつ引き金を引いた。
――だが。
クロエは、目の前の現実が信じられなかった。
自分は確かに引き金を引いた。
しかし、目の前の女は、無傷でこちらをじっと見ている。
長い黒髪や赤いコートの肩の上ではガラス片がいくつか光っていたが、女の注意を引くには至っていなかったらしい。
女は、胸の前で握り締めた拳を、クロエの目の前に突き出した。
その左手を、ゆっくりと開く。
開かれた手のひらから、ゴム弾がこぼれ落ちた。
「嘘……」
クロエは呆然と呟く。
目の前の相手は、弾丸を素手で受け止めたのだ。
「この程度の攻撃では、私を倒すことはできない」
女はそう言い放ったが、その声はクロエの耳を素通りしていく。
どこか現実感のないまま、クロエは思考する。確かにゴム弾は実弾と比べれば殺傷力が低く、弾速も遅く、視認しやすい大きさだ。
それでも常識的に考えて、どんな弾だろうと素手で受け止められる人間などいるはずがない。少なくとも、警察学校時代にそんな馬鹿げた想定で訓練を行った覚えはない。
しかし、その先入観のせいで、自分は不覚を取ったのだ。
「……白鳥クロエ、貴様の負けだ」
そう言って、女は空いた右手でクロエの眼前に拳銃を突きつけ――、
「――現時刻をもってテスト終了、戦闘モードを解除する」
そして、安全装置を元に戻し、コートの内側にしまった。
「……え?」
撃たれると思っていたクロエは、女の思わぬ行動に拍子抜けしてしまう。
「目的が達成された以上、これ以上の攻撃は不要だ。会話フェーズに移行する」
何を言っているのかと思ったクロエだったが、女はそんな彼女の動揺を意に介さず説明を始めた。
「私の名は『マキナ』……戦闘ロボットだ。警察庁から指令を受け、任務遂行のため実乃璃島に派遣された」
「戦闘、ロボット……」
クロエはようやく少しだけ理解する。自分の部下である警察ロボットと同じく、仕事上やむを得ない場合は人間に攻撃を加えてもエラーが発生しないという戦闘用特殊ロボットの存在はクロエも聞いたことがあった。どんな仕組みかは知らないが、高性能な戦闘ロボットであれば人間離れした動きも可能なのかもしれない。
「……なるほど、それならそうと最初から名乗りなさいよね」
「任務内容に関連するが、奇襲の形式で戦闘テストを行う必要があったのだ」
マキナと名乗った彼女は、クロエが左右の手にそれぞれ持っている拳銃に視線をやりつつ言葉を続ける。
「先ほどの交戦は、白鳥クロエの任務への適性を評価するためのテストだった。生存したとはいえ敗北した以上、私のほうが任務への適性が高いと判断する」
マキナと名乗った女の、まるで「適性がなければ死んでも構わなかった」というような口ぶりにクロエは背筋を凍らせる。今更ながら、先ほどの戦闘は訓練などではなく実際に死の危険をはらんでいたのだ、とクロエはようやく実感していた。テストとはいえ実弾を使っていた以上、本当に死んでも構わなかったのだろう。逆にクロエが彼女を破壊していた可能性があったことも考えると、どうやらこの戦闘ロボットは任務の達成のほかには何も関心がないのかもしれない。相手の命も、自分の命も。
「白鳥クロエは私のサポート役を担当しろ。それが任務遂行への最適解だ」
「なによ、勝ったからって偉そうに……それで、いったい何なの? その『任務』とやらは」
クロエは自分の敗北を強調された気分になり、思わず悪態をついて尋ねる。しかしマキナはその怒りを察する様子もなく、どこまでも冷静かつ淡々と言葉を返す。
「ああ、指令書を持参している」
そう言うなり、彼女は赤いロングコートの内ポケットから一枚の紙を取り出した。わざわざ指令書を持ってきたのは、自分が本当に指令を受けた者であることを証明するためだろうか。それとも、先ほどの戦闘テストで自分が負けてもクロエに任務内容を遺すための備えだったのかもしれない。
「では、新たな任務を伝達する」
そう言って、マキナが読み上げた内容は――、
*
「遊びたい遊びたい! あーそーびーたーいー!」
ユイカの不満げな声が、家電店の休憩室に響き渡った。
「ねえねえナオト、来週にこの島でいちばん大きなお祭りがあるんだって! みんなで行こうよー! ねー聞いてるのー? 行こうよー!」
パイプ椅子に座ったまま手足を思いきり伸ばした彼女は、全身でジタバタと遊びへの渇望を表明する。どうやら市制記念日に行われるイベントの噂をどこかで聞いたらしい。
「わかった、わかったから……ユイカ、昼休みくらい静かに休ませてくれ」
昼食の弁当を食べ終わるなりテーブルに突っ伏して寝ていたナオトが頭をむくりと起こし、対面のユイカへ迷惑そうに視線を向ける。
「ナオトさん、お疲れのご様子ですね……はい、ユイカさんもお茶をどうぞ」
そう言いながら給湯コーナーから歩いてきたのは、少女型ロボットであるスノウだ。お盆に載せて運ばれてきた湯呑みを受け取ったユイカは、わーいありがとう、と不満を引っ込めた。
ナオトも上半身を起こしてスノウからお茶を受け取ると、一服しつつこの二週間を振り返る。
先月までナオトはデジタルカメラ売り場の担当だったのだが、年明けと共に上のフロアである映像機器売り場の担当へ異動になっていた。新たな商品ジャンルの知識を詰め込みつつ、重いテレビやレコーダーの運搬や陳列に追われる日々。そのうえ先日には新製品の発売ラッシュもあったため、多忙な日々を過ごしているのだ。
「ホウキ売り場担当のユイカはいいよな……空を飛ぶ乗り物をこんな寒い季節に買い求める客なんて多くないだろうから、さぞ平和なことだろうよ」
ナオトの言う通り、ここ半月ほどホウキの売り上げは下降気味だった。
ユイカがこの島にやってきた先月の初めは、彼女が初日に繰り広げたホウキの暴走劇による宣伝効果のおかげでホウキの人気が一時的に沸騰していた。しかし本来ならば冬のホウキ売り場は閑散としているのが常で、ブームが去った今となってはユイカが暇を持て余しているのも当然だった。
「ねえナオト、じゃあ担当をわたしと交換してもらえるよう瀬名さんにお願いしてみる? わたしも、ぼーっとしてるより忙しい方が楽しいかもしれないし」
ふと、ユイカがそんな言葉を投げかけてくる。なかなか魅力的な提案だ、とナオトは一瞬だけ思ったが、「……ダメだ」とすぐに却下した。
「えー、なんでー?」
「お前にあの忙しい売り場の担当が務まるとは思えん。テレビや音響機器の商品知識も一から勉強する必要があるしな」
「勉強……」
遊びとは正反対の言葉を聞いて、ユイカはやる気を削がれた表情になる。大好きなホウキの商品知識は難なく覚えた彼女だったが、それ以外の商品には気が乗らないのかもしれない。
「それに、テレビやら大型スピーカーやらの重い家電なんかを運ぶのは、お前の力じゃ大変だろうしな」
「ナオトさん、自分も大変なのにユイカさんを気遣うなんて……!」
隣に座ったスノウが感激した様子で視線を送ってくるが、ナオトは肩をすくめて訂正した。
「違うぞスノウ。俺はユイカじゃなく、うっかり落として壊されるかもしれない家電のほうを心配してるんだ。特に大型テレビなんて、よっぽどのパワー系女子でもない限りは持ち上げることすら難しいだろうな」
自分自身が筋肉痛に悩まされているナオトは、しみじみとそう言った。
そんなとき、休憩室のドアノブをがちゃがちゃと外側から動かす音が聞こえた。それを聞いたスノウは椅子から立ち上がると、音の方へと駆け寄りつつドアの向こうに声をかける。
「そのドアは今ちょっと立て付けが悪くて、コツをつかまないと開きにくいですよ。ドアノブを上に引っ張りながら押さないと――」
スノウが言い終える前に、ドアが開いた。
いや、開いたのではない。
勢いよく、内側に倒れてきたのだ。
「きゃっ⁉」
思わず悲鳴を上げつつ、スノウは飛び退こうとしてバランスを崩す。
ナオトは慌てて立ち上がり、転びそうになったスノウを後ろから支えた。
「なんだ、何が起きた⁉」
状況を理解する前に、事態は更なる進展をみせた。
ドアの向こうから何者かが素早く近づいてきたかと思うと、気付けばナオトのすぐ目の前に拳銃を構えた赤いコートの女性が立っていた。
ナオトたちは驚きのあまり固まってしまったが、女性は拳銃の照準をナオトの額にぴたりと合わせたまま無表情に部屋の中をぐるりと見渡すと、奥に座る少女へ視線を定めて、
「確認する。お前が『空羽ユイカ』で相違ないな?」
ユイカに向けて、そう尋ねた。
それを見て、ナオトたち三人はようやく理解する。
目の前の人物は、ドアを蹴り破って部屋に入ってきたのだと。
いきなり問われたユイカは女性と目を合わせつつ、きょとんとした表情でナオトへ呟く。
「……ナオト、これがその『パワー系女子』なんだね……」
「ああ、その通りだ……」
ナオトは驚きに固まった表情のまま、こくこくと頷いた。